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明石市テニス協会のあゆみ

​昭和の歩み

(1972年(昭和47年)~1988年(昭和63年)

1972年(昭和47年)4月

協会設立の起こり

 1971年(昭和46年6月、主として県立明石公園コートをプレーの拠点にした女性だけの「明石レディスクラブ」(後に明石ローンテニスクラブに改称)が結成されていた。そのクラブの会長 藤岡祥江さんは、クラブの発展とメンバーのテニススキルアップに会員ともども情熱的に、日々テニスに励んでおられた。

​ ある日、とあるスポーツ店で空野章氏(後に明石市テニス協会第2代会長)と出会い、その実情を伝えたところ、空野氏自らも明石レディステニスクラブに入会され、労を惜しまず関係先へ助言や指導を求めて奔走された。

 そんな折、空野氏の旧知の先輩でもあり、当時明石市教育長でもあった増田勲氏の助言によりテニス協会を設立してはどうかということになった。

 更に、明石市体育保険課や明石市体育協会の方々のご指導を得て、いよいよ明石市庭球協会設立の根回しが整えられた。

1972年(昭和47年)6月

庭球協会設立準備開始

 明石レディーステニスクラブ会長 藤岡祥江さん、クラブ会員の空野章氏、小辻文和氏(当時医師)、朝山幸雄氏(現明石市テニス協会会長)、加藤喜代次氏(当時会社員)、原田麗子氏(当時短大勤務)に加えて外部から坂本達雄氏(前明石市テニス協会会長)、三浦晴男氏(当時明石市職員)の両氏の参画を得て設立に必要な事柄を模索しながら協会創設作業を開始した。

​ それは、組織・活動思想、大会開催要項、市体育協会加入準備、市内テニスクラブ、企業テニス部の調査と協会への加盟のこと、事務所設置、協会規約、等々・・・、藤岡会長宅を仮事務所にして、作業は深夜に及ぶこと再三であった。幸いにも明石市教育委員会のご協力を得て、1972年(昭和47年)8月の終わりには概ねの準備を整えることが出来た。

1972年(昭和47年)9月

 9月1日付の「明石市庭球協会設立案内」と当協会規約ならびに協会加盟申込書を同封して市内のテニスクラブ・企業テニス部宛に発送した。

 7団体の入会を得て「明石市庭球協会」として、9月1日に正式活動を開始した。

 設立の目的:市内における庭球の健全なる発展とスポーツ精神の高揚を期し、併せて加盟団体相互の親睦を図ると共に本邦庭球界の発展に貢献することとする。

 設立時の明石市庭球協会の構成(役員と会員)

  会長  田村 享(当時兵庫県体育教会会長)

  理事長 坂本達雄(当時会社経営)

  理事  空野 章(当時学識経験者)

  理事(経理) 加藤喜代次(当時会社員)

  理事(大会運営) 小辻文和(当時医師)

  理事(大会運営) 朝山幸雄(当時会社員)

  理事(コート建設) 三浦晴男(当時公務員)

  理事(青少年強化) 小沢隆一(当時会社員)

  理事(青少年強化) 畠山春雄(当時公務員)

  理事(広報) 藤岡祥江(当時明石ローン)

  理事(広報) 原田麗子(当時大学勤務)

  理事  速水清市(当時会社員)

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  会員(加盟団体)

   明石ローンテニスクラブ

   明石市役所硬式庭球部

   川崎重工業明石工場硬式庭球部

   神戸製鋼大久保工場硬式庭球部

   三菱重工業明石製作所硬式庭球部

   富士通明石工場硬式庭球部

   神戸大学付属明石中学校テニス部

   (少年少女の部) 

1972年(昭和47年)10月

 9月に協会設立の立上げを終え、10月からいよいよ最初の大会開催。10月29日は大会の初日にあたり支援して頂いた方々を招待し乾杯で門出を祝した。

 協会設立に並行させての第1回大会準備、苦難もあったが多くの方々の支援で成功裡に終えることが出来た。

 参加選手数は加盟7団体から約350名の申込があり、初大会ながら熱戦が繰り広げられた。

 当大会は秋季のメインイベントとして毎年開催。現在の明石市テニス選手権大会(個人戦)

1973年(昭和48年)3月

初の定期総会を開催

 協会設立後、初の定期総会を開催

1)春季の大会として新規に「明石市クラブ対抗庭球大会」(後に明石市民テニス大会に改称)を設ける。本大会は明石市教育委員会との共同主催とする

2)1972年(昭和47年)10月開催の「明石市庭球選手権大会」を今秋の第2回大会から明石市教育委員会との共同開催とする。また、明石市総合体育大会庭球大会を兼ねた大会に改め、一般市民も参加できるようにする

3)次の3団体の加盟を承認する

 楠岡テニスクラブ、魚住テニスクラブ、川崎重工業明石南庭球同好会(加盟団体累計10)

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1973年(昭和48年)4月

明石市体育協会への加盟承認される

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1973年(昭和48年)5月

第1回明石市クラブ対抗庭球大会を開催

​明石公園コートを主会場として、参加チーム数28(男女合計)、参加選手数延べ180名であった。以降、春季のメインイベントとして毎年開催

1973年(昭和48年)10月

第2回明石市庭球選手権大会を開催

明石市教育委員会との共同主催で開催。参加選手述べ約350名

1974年(昭和49年)2月

昭和49年度定期総会を開催(他都市との対抗試合、テニス教室の実施を決定)

昭和49年度定期総会を開催し次の事項を決議
1)新たな活動として「他都市との対抗試合」を実施する選手同士の接点を限りなく多く取り、かつスポーツ精神の高揚をはかる。
2)テニス教室の開設(実施)の検討を行う。
3)第2回明石市クラブ対抗庭球大会の実施(5月12日より)
4)第3回明石市庭球選手権大会兼明石市総合体育大会庭球大会の実施(10月6日より)

1974年(昭和49年)8月

「他都市との対抗試合」として岡山県庭球協会チームと対戦

男女伏せて15名の選手団を編成して岡山県へ遠征(8月25日)

1975年(昭和50年)3月

昭和50年度定期総会を開催 松ヶ丘テニスクラブ加盟

県立明石高等学校テニス部、川崎重工業播磨工場テニス部(加盟団体累計13)

1976年(昭和51年)

テニスに対する明石市民の関心の高まり

テニスに対する市民の関心が次第に高まり、参加数において、開催3年目を迎える春季のクラブ対抗庭球大会では第1回大会の2倍の56チーム、開催4年目を迎える秋季の庭球選手権大会では第1回大会の10%増の延べ390名の参加となった。
 

1977年(昭和52年)

高丘テニスクラブの加盟

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1978年(昭和53年)2月

常任理事 空野 章氏、加藤喜代次氏退任

 

1978年(昭和53年)6月

大西哲夫氏、杉森伸二郎氏、尾上佳光氏を招き第1回テニス指導者講習会開催

新事業として青少年育成の一環で加盟団体の中でテニスを指導する立場の者にテニスの上級技術を指導する講習会(毎年1回開催)
 場所:兵庫県淡河スポーツ研修センター
 講師:大西哲夫氏、杉森伸二郎氏、尾上佳光氏

 

1979年(昭和54年)2月

丸尾カルシウム(株)テニス部加盟

日本工業試験所硬式テニス部加盟(昭和63年12月退会)

1979年(昭和54年)6月

小浦猛志氏(元デ杯選手:兵庫県テニス協会常任理事)、宇津原秀司氏(元デ杯選手:日本庭球協会強化本部役員)による第2回テニス指導者講習会を開催

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1980年(昭和55年)2月

新理事長 安田邦夫氏就任 坂本達雄副会長、明石市スポーツ功労賞を受賞

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1981年(昭和56年)2月

新常任理事に魚住昌宏氏就任、ノーリツテニスクラブ加盟

常任理事 小辻文和氏、三浦晴男氏退任

1981年(昭和56年)12月

インドアテニス大会開設

新事業として、試合のレパートリー拡大とインドアテニスの流行に応えて室内大会を開設。
初回の状況・・・インドアコート2面、男子ダブルス20組、女子ダブルス8組、計28組(1セットマッチ)

1982年(昭和57年)2月

新常任理事 田中勉氏、橋本篤治氏、友藤和正氏 人丸テニスクラブ加盟

品川炉材テニスクラブ加盟承認(平成6年2月退会)

1983年(昭和58年)2月

明石ロイヤルテニスクラブ加盟

(昭和59年2月退会)

1983年(昭和58年)7月

宇津原秀司、美佐子ご夫婦による第5回テニス指導者講習会開催

 

1983年(昭和58年)8月

明石市庭球協会夏季テニス教室開講

明石市庭球協会夏季テニス教室開講…婦人対象40名(応募数180名)、海浜公園コート
 講師:安田邦夫理事長、協会役員、無料

1985年(昭和60年)2月

西明石テニスクラブ加盟

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1985年(昭和60年)5月

吉田昇生氏(国体兵庫県テニス監督、トーアストリング㈱所属)による第7回テニス指導者講習会講師

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1986年(昭和61年)2月

協会規約一部改訂 アイリバーテニス'84テニスリゾート加盟

新会長 空野章氏、新副会長 朝山幸雄氏及び魚住昌宏氏、新理事長 田中勉氏就任
前会長 坂本達雄氏、前理事長 安田邦夫氏 顧問に就任
アイリバーテニス'84テニスリゾート加盟承認
大阪酸素工業(株)テニス部加盟承認(平成7年2月退会)

1986年(昭和61年)5月

馬場宏之氏((株)ダンロップテニス所属)による第8回テニス指導者講習会開催

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1987年(昭和62年)2月

新常任理事 下山敬次氏就任 日本たばこ硬式テニスクラブ加盟

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1987年(昭和62年)11月

明石市テニス協会選抜チーム、兵庫県市町村対抗インドアテニス大会で第3位入賞

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1988年(昭和63年)2月

新常任理事 中根登史夫氏就任

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1988年(昭和63年)8月

ショートテニス講習会開催(対象 ジュニア)

6~10歳のジュニアビギナー向けのテニス基礎練習用具(スポンジボール、軽量小型ラケット、小型専用ネット)がスウェーデンで開発され、日本にも導入されていることから小浦猛志氏の紹介で明石市テニス協会もこれを導入してビギナーのために講習会を開催。市内の小学生対象に受講生募集、16名の応募(男子5名、女子11名)、富士通体育館を借りて橋本常任理事をチーフに役員4名で対応。
 

1988年(昭和63年)11月

兵庫県市町対抗インドアテニス大会で明石市テニス協会選抜チーム、第3位に入賞

兵庫県市町対抗インドアテニス大会で明石市テニス協会選抜チーム、第3位に入賞
第2回スポーツレクリエーション祭(厚生省主催、愛媛県松山大会)に明石市テニス協会チーム(愛称:ブルーシャイン)が兵庫県代表で参加 全国各府県1チーム、計48チーム出場
 明石チーム成績:予選リーグ通過、決勝トーナメントで青森に1回戦で敗退。
 チーム監督兼選手:副会長朝山幸雄、選手 宮内清,樫尾政裕、細川律子、宮内泰子
 本大会は、テニスの他にソフトボールなど15種目、総参加選手8,000名兵庫選手団150名

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